プログレス個別教室

兵庫県の明石市、西宮市を中心に4教室を展開する個別指導塾プログレスのブログです。

コメントは、承認されたコメントのみを表示します。

欠席連絡や振替等、教室宛の私信はコメント欄には書き込まないで下さい。

今日は何の日~2月11日~(2)

前回の続きです。

410951.hateblo.jp

紀元節

※本章以降は、歴史を扱った内容であると共に神話についても言及する内容となります。

考古学的知識を踏まえた客観的・科学的・唯物主義的な根拠に基づいた「歴史」から外れた記述も含むため、そういった性質をご了承の上、お読みくださいませ。

 

 2月11日と言えば現在では「建国記念の日」(建国記念日)として知られています。

カレンダーにもそうした呼び名で掲載されていますがこれは果たしてどういう意味なのでしょうか。

 

 先程の『国民の祝日に関する法律』には2月11日の建国記念の日については「政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」日であると定められています。

ここで重要なのは、やはり「建国」というところなのではないでしょうか。

建国とは、国が出来上がるということです。日本の祝日のお話ですので、ここでは日本という国が出来上がったということです。

 

では、日本という国はいつ出来上がったのでしょうか?

 

 サンフランシスコ平和条約明治維新聖徳太子邪馬台国?・・・。

こうした出来事、人物も確かに日本の歴史上、大きな影響を与えたものであったことは確かではありますが、

 

日本という国はその前からありました。

 

と言うと、驚く方も多いでしょうか。

 

(中学校、高校の教科書の中では『漢書』~『後漢書』~『魏志』など中国の歴史書に残る記述をもとに、

倭国、奴国、邪馬台国などの国々がなんとな~く現れ、なんとな~く国家を形成するに至ったという記述のされ方がなされているでしょうか。)

 

日本という国がいつ出来上がったのか、それを紐解くヒントとしては、『古事記』と『日本書紀』です。

この2つは歴史の教科書にも出てくる作品ですね、どちらも日本の歴史をまさに日本という国ができたとき、

あるいは日本という国ができる前までさかのぼって書かれた歴史書です。

 

 この中で『古事記』の方は、歴史書ではあるものの文学作品的な性質も有するものであり、

またその成立過程からどちらかと言うと「物語」に近い部分もあるのですが、

日本書紀』の方は、日本最古の正史と呼ばれるように、「これが日本の最古の歴史だ!」というものを実際に記した書物であるということになります。

正史とは、字のごとくその国の「正しい歴史」ということになります。

 

 従って、日本の歴史のはじまりを勉強しようと思えばまさに『日本書紀』を読めばわかるということになりますが、

日本書紀』も『古事記』も研究が進み、その内容としては全体としてそこまで相違のあるものではないようです。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、それではこの2月11日の建国記念の日、つまり日本の国ができたお話はこれら「記紀」(古事記日本書紀を併せた呼称)の中ではどう書かれているのでしょうか。

 

 『日本書紀』の中で、2月11日というのは紀元前660年のこの日に、神武天皇が即位した日とされ、この日を以って日本の国の紀元とされています。

従って、2月11日の建国記念の日は昔は「紀元節」と呼ばれる祝日でした。

その呼び名が変わって建国記念の日になったということです。

 

 

神武天皇と日本神話

 ここで1つの疑問として「神武天皇ってだれ?」と思う人が多いでしょう。

天皇」と名がつくわけですから昔いらっしゃった天皇ということはわかるかと思いますが、

どれくらい前の時代の人なのか、どんな人なのか、気になるところですね。

 

 神武天皇とは、一言で言えば「初代天皇」ということになります。

今の天皇陛下は第125代天皇です、もう少しするとご譲位されて第126代天皇が即位されますね。

どれくらい前の人かと言えば先程書いたように即位されたのが紀元前660年ですから単純に考えれば2679年前の人ということになります。

それだけならば「まあ、そういう人もいたんだろうね。」と思うかもしれませんが、この神武天皇は127歳まで生きたとされ、

神武天皇のお祖父さんは瓊々杵命(ニニギノミコト)、そしてこの瓊々杵命(ニニギノミコト)の更にお祖母さんはかの有名な

天照大神(あまてらすおおみかみ [※ 伊勢神宮の内宮に祀られている太陽神])です。

瓊々杵命(ニニギノミコト)も天照大神(あまてらすおおみかみ)もどちらも日本では有名な神様ですね。

 

 このあたりで怪しくなってきたでしょうか。

「そんな大昔の人が127歳まで生きられるわけないでしょ。」、「お祖父ちゃんが神様ってどういうことやねん。」など思う人も多いでしょう。

もうお分かりかと思いますが、この神武天皇は神話のお話に登場する人物です。

別にこれを以って天皇は神の子孫であるだとか言うお話をするつもりはありませんし、

また歴史と神話を結びつけることで「歴史」の価値をおとしめようとしている訳ではありません。

 

 そもそも歴史の延長線上にある神話とは、日本神話のみならず、どの国にも多かれ少なかれあるものではないでしょうか。

有名なのがギリシャ神話などですね、あるいは旧約聖書新約聖書も神話的側面をもつ書物であると言ってしまって良いでしょう(キリスト教徒、ユダヤ教徒の方ごめんなさい)。

重要なのは、「神話だから怪しい。神話だからうさんくさい。」と考えるのではなく、

その真偽に関わらず、嘘も真も全て含めて神話も一つの歴史の一部として受け入れるということではないでしょうか。

 

次回に続きます。

今日は何の日~2月11日~(1)

今日は何の日~2月11日~

 前回と前々回は何の変哲もない平日の日を取り上げましたが、今回は祝日である2月11日についてです。

410951.hateblo.jp

410951.hateblo.jp 

・日本の祝日とその意味

 祝日とは、簡単に言えば各国にとって何かしら特別な意味を持つ日ということです。

これは『国民の祝日に関する法律』という法律の中に決められていて、この法律によって決められた日だけが「祝日」(学校がお休みの日)ということになるわけです。

 

 (ちなみに『国民の祝日に関する法律』の第一条に、祝日について詳しく決められていて、そこでは祝日とは

「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」

であるとされています。

 

 つまり祝日とは本来は、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」であるということです。

最近はあまり見かけなくなりましたが、一昔前は祝日の日にはお家の玄関先に国旗(日の丸)を掲げる家庭もありました。

今でもお年寄りの方はそういった風習を守っていらっしゃるようです。

 

 これはまさに、家庭単位でも祝日を「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念」されているということが言えるでしょう。)

 

 閑話休題。こうした祝日については、最近でも山の日(8月11日)が新しくできたりなど、いろいろと制度が変わっています。

中には皆さんよく知っているように、必ず月曜日に設定される祝日もあり、そこは大抵は3連休が出来上がることになりますし、

反対に木曜日や火曜日にポツンと1日だけ祝日になっているときもあって、

「なんでこの1日だけお休みなの・・・?」、「土日とくっついてくれれば3連休になるのに・・・。」

などというときもまたあるでしょう。

そうした「なぜ、この日が祝日になるのか?」ということを調べてみるのも楽しいかと思いますし、勉強になると思いますが、

祝日について一番重要なこととしては「どの祝日にも、必ず意味がある。」ということです。

 

 例えば海の日(7月の第三月曜日)は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。」日として、

山の日(8月11日)は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。」日として設定されています。

こうした文化的な意味・目的を持った祝日もあれば、歴史的な意味を持った祝日もあります。

まさに、今回取り上げる2月11日は、そんな歴史的な意味を持つ祝日であると言えます。

 

次回に続きます。

410951.hateblo.jp

講師の皆さんにアンケート!~大久保教室編~(2)

前回の続きです。

410951.hateblo.jp

Q3:今、大学では何を学んでいますか。

 大学では国際政策の分野を学んでいます。

主な流れは世界の通貨の流れや国際機関のシステムや役割を理解し、難民問題、貧困問題へと思考を巡らしていく感じです。

国連での勤務経験がある先生が多く在籍しており身になる講義が受けられています。

「国際」とはいいますが日本の政治システム、戦後政策に焦点を当てたゼミも存在します。

2学年までオールイングリッシュの授業が必修であり(4単位)、ある程度英語のコミュニケーションスキルは伸びます。

またコンピュータの授業の必修もあり、実学の多い学部だと感じます。

 

Q4:今からもし、中学校、高校時代に戻れるとしたら「これをやりたい!」と思うことはありますか。

 高校に入った瞬間に燃え尽き症候群のようになり、勉強に関してはただただ惰性に高校生活を過ごしてしまったので、高校時代に戻ってしっかり勉強したいです。

学習環境は完璧だったのにもかかわらず、身を入れて勉強しなかったのが今になって悔やまれます。

本当に高校生活は一瞬なので(中学校よりも体感は早いと個人的には感じます)、勉強や部活には常に計画性をもって取り組んでいってほしいと思います。

 

Q5:あなたにとって「勉強すること」とは何ですか。「勉強する」意義とはなんでしょうか。

 「勉強すること」は「自分の可能性を広げること」だと私は捉えています。

正直勉強しなくても、登校さえすれば日本は義務教育制度があるために中学校までは卒業することができます 。

中卒でもとび職人や大工になって立派に働いている人や、企業して大儲けした人は周りに存在します。

しかし日本においてそれはごく一部で、どうしても学歴の壁は存在します。

海外は学歴よりスキルを重視するところが多いですが、スキルがあっても最低限のコミュニケーション能力が必要です。

つまりは言語の「勉強」がいるのです。

選択肢は少なくて困ることはあってもたくさんあって困ることはない。そう思って私は今も勉強しています。

 

 

 

 以上、回答してくれた先生はご協力ありがとうございました。

中学生、高校生の皆さんにとっては大いに参考になるお話であったのではないかと思います。

講師の皆さんにアンケート!~大久保教室編~(1)

夏休みの間に、ウチの教室の講師の皆さんにアンケートということでいろいろとお話を聞いてみました。

 

その中で、今回は大久保教室の講師の皆さんのアンケート結果をご紹介します。

 

Q1:中学生、高校生のときはどうやって勉強をしていましたか。

 中学校のときはとにかく課題をしっかりこなしていました。

1つのワークにしても1つ1つの設問に対する解答を熟読して、理解してから次の問題へと進むよう心がけて、それを全教科共通で行っていました。

また、それでもわからなかった場合にはすぐに担当の先生や塾の先生に確認し、ニガテを作らない、または克服する努力もしていました。

 

 続いて教科ごとに勉強のポイントについて、英語は単語を声に出しながら(アクセントに気をつけながら)読んで覚えること、

数学は証明に限らずモデルケースを覚えて他に応用するようにしていました。

社会は流れを掴むために絵や吹き出しなどをノートに書いて覚えていました。

年号などは語呂合わせを使用していたと思います。

理科は学校で配られるカラーのプリント(おそらく兵庫県は共通に配布されているもの)の記述問題を丸暗記していました。

中学校でも高校でも日々の学習の積み重ねが大事であったように思います。

 

Q2:進学する高校、大学はどのように選びましたか。

 高校は家庭の事情によって、家庭に既に制服がある2つの公立高校のうちのどちらかと親に決められていました。

そのため、その2校のうちより親に負担をかけない(家から自転車で通えるなど)方を選択しました。

もちろん校舎の綺麗さや広さ、県内での評判なども考慮に入れての選択です。

 

 大学に関してはずっと志望していた大学に必要な教科をセンター試験で受けることができなくなったために、

急遽願書を取り寄せて入った所なので、選択理由としては「その志望していた大学の学部と同じようなことが学べると思ったから」です。

 

 

 

 以上、ひとまず2問、アンケートに答えてもらいました。ご協力ありがとうございました。

他のアンケートにも答えてもらっていますのでこれはまた次回ご紹介します。

 

410951.hateblo.jp

ご紹介、ありがとうございました!

この夏も沢山の生徒が紹介で来てくれました。

ご紹介頂いた生徒の皆さん、ご父母様、本当にありがとうございました!

皆様のご期待に添えるようがんばります!

 

中3生、高3生の方も数名来てくれました。

いよいよ受験までのラストスパート!

最後まで「もがいた」人にいい結果が待ってますよ!

 

とは言え・・今年の夏は本当に暑いですね・・・

家ではやる気が出ない!という人は塾に来て自習しましょう!

毎日コツコツが大切です!時間をかければかけた分必ず成績は上がります!

すいません・・結局説教臭く・・・ですね。

とにかく!ありがとうございました!今後とも宜しくお願いいたします!

今日は何の日~6月23日~(4)

前回の続きです。

410951.hateblo.jp

 また、沖縄戦に関してよく言われるのが、「沖縄は本土の捨て石にされた。」という表現ですが、

これに関しても諸説あると申し上げておきましょう。

その上で皆さんがご判断頂いて「やはり沖縄は捨て石になったのだ!」や、

「沖縄は捨て石ではなかった。」等お考えになるのであればそれもそれで一つの考えであると思います。

 

 「沖縄は捨て石にされた。」というお話は皆さんも耳にするかと思いますが、

逆に、「沖縄が捨て石ではなかった。」と考えさせられる史実についてもいくつか触れておきましょう。

 

1:戦艦大和の沖縄出撃

 かの有名な戦艦大和ですね、宇宙戦艦ではないですよ(笑)。

第二次大戦、太平洋戦争においても大和は日本海軍の主力兵器でした。

残念ながら太平洋戦争末期となると、戦艦そのものがやや時代遅れの兵器となってしまっていたということも言えますがそれはまた別のお話です。

 

 いずれにせよ、この戦艦大和日本海最後の切り札であったと言えるわけです。

要はこれは逆説的な主張として、「もし日本軍が沖縄を捨て石と考えていたならばわざわざ戦艦大和を沖縄に出撃させたりしないよね。」というお話です。

すなわち、日本海軍は沖縄を本当に死守するために、戦艦大和を出撃させたということが言えるでしょう。

 

 しかしながらこの戦艦大和の出撃に関しては、いわゆる「海上特攻」がその任務であったと言われています。

これについて、実際には戦艦大和は沖縄に向かう途中、アメリカ軍の偵察機に見つかり、

鹿児島県沖の東シナ海上においてアメリカ軍の攻撃を受け、沖縄に辿り着くことなく沈没することとなりました。

沖縄に到達することなく志半ばで沈むこととなった戦艦大和ですが、この大和をして沖縄に向かい、

沖縄防衛に就かせようとした事実こそが、「沖縄は決して捨て石でなかった。」根拠となり得るのではないかと思います。

 

2:『沖縄県民斯ク戦ヘリ』

発 沖縄根拠地隊司令

海軍次官

 

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ

県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付

本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ

残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ

僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ

□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ

挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ

毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ

敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ

輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ

(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ

遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 

※文中の□部分は判読不明

 

 皆さんはこの文章をご存知でしょうか。

特に最後の2行、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世、特別のご高配を賜らんことを。)の部分が有名ですね。

一応現代語訳についても掲載しておきます。

 

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、

県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。

県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、

現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、

県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。

それにも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。

残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、

しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、

軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、

辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、

砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、

生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。

その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、

輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、

(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、

沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

 

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

f:id:progress410951:20180801182955j:plain

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%AE%9F

 

 これは大田實(おおたみのる)という沖縄戦当時の沖縄に赴任していた日本の海軍中将が、1945年6月6日、まさに沖縄が陥落しようという時期に東京の海軍次官に対して打たれた電報です。

長い電文ですが、要点としては以下の2点ではないでしょうか。

 

沖縄県民の中にも自発的に、献身的に戦闘に貢献すべく『戦い抜いた』人々がいたということ。

② それに対する大田中将の「遺言」として、「沖縄県民に対する後世における特別のご高配をお願いする」ということ。

 

でしょうか。

 終始、眼前のありのままを海軍次官に伝えたこの電報は、まさに日本軍と県民とが一体となって死守しようとした沖縄戦と、

その様子を飾り気なく伝えた紛れもない証言であったと言えるのではないでしょうか。

 

以上、6月のネタをお話しし終わるまでにもう8月になってしまいました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

コメントは、承認されたコメントのみを表示します。

欠席連絡や振替等、教室宛の私信はコメント欄には書き込まないで下さい。