プログレス個別教室

兵庫県の明石市、西宮市を中心に4教室を展開する個別指導塾プログレスのブログです。

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講師の皆さんにアンケート!~大久保教室編~(2)

前回の続きです。

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Q3:今、大学では何を学んでいますか。

 大学では国際政策の分野を学んでいます。

主な流れは世界の通貨の流れや国際機関のシステムや役割を理解し、難民問題、貧困問題へと思考を巡らしていく感じです。

国連での勤務経験がある先生が多く在籍しており身になる講義が受けられています。

「国際」とはいいますが日本の政治システム、戦後政策に焦点を当てたゼミも存在します。

2学年までオールイングリッシュの授業が必修であり(4単位)、ある程度英語のコミュニケーションスキルは伸びます。

またコンピュータの授業の必修もあり、実学の多い学部だと感じます。

 

Q4:今からもし、中学校、高校時代に戻れるとしたら「これをやりたい!」と思うことはありますか。

 高校に入った瞬間に燃え尽き症候群のようになり、勉強に関してはただただ惰性に高校生活を過ごしてしまったので、高校時代に戻ってしっかり勉強したいです。

学習環境は完璧だったのにもかかわらず、身を入れて勉強しなかったのが今になって悔やまれます。

本当に高校生活は一瞬なので(中学校よりも体感は早いと個人的には感じます)、勉強や部活には常に計画性をもって取り組んでいってほしいと思います。

 

Q5:あなたにとって「勉強すること」とは何ですか。「勉強する」意義とはなんでしょうか。

 「勉強すること」は「自分の可能性を広げること」だと私は捉えています。

正直勉強しなくても、登校さえすれば日本は義務教育制度があるために中学校までは卒業することができます 。

中卒でもとび職人や大工になって立派に働いている人や、企業して大儲けした人は周りに存在します。

しかし日本においてそれはごく一部で、どうしても学歴の壁は存在します。

海外は学歴よりスキルを重視するところが多いですが、スキルがあっても最低限のコミュニケーション能力が必要です。

つまりは言語の「勉強」がいるのです。

選択肢は少なくて困ることはあってもたくさんあって困ることはない。そう思って私は今も勉強しています。

 

 

 

 以上、回答してくれた先生はご協力ありがとうございました。

中学生、高校生の皆さんにとっては大いに参考になるお話であったのではないかと思います。

講師の皆さんにアンケート!~大久保教室編~(1)

夏休みの間に、ウチの教室の講師の皆さんにアンケートということでいろいろとお話を聞いてみました。

 

その中で、今回は大久保教室の講師の皆さんのアンケート結果をご紹介します。

 

Q1:中学生、高校生のときはどうやって勉強をしていましたか。

 中学校のときはとにかく課題をしっかりこなしていました。

1つのワークにしても1つ1つの設問に対する解答を熟読して、理解してから次の問題へと進むよう心がけて、それを全教科共通で行っていました。

また、それでもわからなかった場合にはすぐに担当の先生や塾の先生に確認し、ニガテを作らない、または克服する努力もしていました。

 

 続いて教科ごとに勉強のポイントについて、英語は単語を声に出しながら(アクセントに気をつけながら)読んで覚えること、

数学は証明に限らずモデルケースを覚えて他に応用するようにしていました。

社会は流れを掴むために絵や吹き出しなどをノートに書いて覚えていました。

年号などは語呂合わせを使用していたと思います。

理科は学校で配られるカラーのプリント(おそらく兵庫県は共通に配布されているもの)の記述問題を丸暗記していました。

中学校でも高校でも日々の学習の積み重ねが大事であったように思います。

 

Q2:進学する高校、大学はどのように選びましたか。

 高校は家庭の事情によって、家庭に既に制服がある2つの公立高校のうちのどちらかと親に決められていました。

そのため、その2校のうちより親に負担をかけない(家から自転車で通えるなど)方を選択しました。

もちろん校舎の綺麗さや広さ、県内での評判なども考慮に入れての選択です。

 

 大学に関してはずっと志望していた大学に必要な教科をセンター試験で受けることができなくなったために、

急遽願書を取り寄せて入った所なので、選択理由としては「その志望していた大学の学部と同じようなことが学べると思ったから」です。

 

 

 

 以上、ひとまず2問、アンケートに答えてもらいました。ご協力ありがとうございました。

他のアンケートにも答えてもらっていますのでこれはまた次回ご紹介します。

 

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ご紹介、ありがとうございました!

この夏も沢山の生徒が紹介で来てくれました。

ご紹介頂いた生徒の皆さん、ご父母様、本当にありがとうございました!

皆様のご期待に添えるようがんばります!

 

中3生、高3生の方も数名来てくれました。

いよいよ受験までのラストスパート!

最後まで「もがいた」人にいい結果が待ってますよ!

 

とは言え・・今年の夏は本当に暑いですね・・・

家ではやる気が出ない!という人は塾に来て自習しましょう!

毎日コツコツが大切です!時間をかければかけた分必ず成績は上がります!

すいません・・結局説教臭く・・・ですね。

とにかく!ありがとうございました!今後とも宜しくお願いいたします!

今日は何の日~6月23日~(4)

前回の続きです。

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 また、沖縄戦に関してよく言われるのが、「沖縄は本土の捨て石にされた。」という表現ですが、

これに関しても諸説あると申し上げておきましょう。

その上で皆さんがご判断頂いて「やはり沖縄は捨て石になったのだ!」や、

「沖縄は捨て石ではなかった。」等お考えになるのであればそれもそれで一つの考えであると思います。

 

 「沖縄は捨て石にされた。」というお話は皆さんも耳にするかと思いますが、

逆に、「沖縄が捨て石ではなかった。」と考えさせられる史実についてもいくつか触れておきましょう。

 

1:戦艦大和の沖縄出撃

 かの有名な戦艦大和ですね、宇宙戦艦ではないですよ(笑)。

第二次大戦、太平洋戦争においても大和は日本海軍の主力兵器でした。

残念ながら太平洋戦争末期となると、戦艦そのものがやや時代遅れの兵器となってしまっていたということも言えますがそれはまた別のお話です。

 

 いずれにせよ、この戦艦大和日本海最後の切り札であったと言えるわけです。

要はこれは逆説的な主張として、「もし日本軍が沖縄を捨て石と考えていたならばわざわざ戦艦大和を沖縄に出撃させたりしないよね。」というお話です。

すなわち、日本海軍は沖縄を本当に死守するために、戦艦大和を出撃させたということが言えるでしょう。

 

 しかしながらこの戦艦大和の出撃に関しては、いわゆる「海上特攻」がその任務であったと言われています。

これについて、実際には戦艦大和は沖縄に向かう途中、アメリカ軍の偵察機に見つかり、

鹿児島県沖の東シナ海上においてアメリカ軍の攻撃を受け、沖縄に辿り着くことなく沈没することとなりました。

沖縄に到達することなく志半ばで沈むこととなった戦艦大和ですが、この大和をして沖縄に向かい、

沖縄防衛に就かせようとした事実こそが、「沖縄は決して捨て石でなかった。」根拠となり得るのではないかと思います。

 

2:『沖縄県民斯ク戦ヘリ』

発 沖縄根拠地隊司令

海軍次官

 

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ

県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付

本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ

残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ

僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ

□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ

挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ

毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ

敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ

輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ

(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ

遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 

※文中の□部分は判読不明

 

 皆さんはこの文章をご存知でしょうか。

特に最後の2行、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世、特別のご高配を賜らんことを。)の部分が有名ですね。

一応現代語訳についても掲載しておきます。

 

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、

県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。

県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、

現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、

県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。

それにも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。

残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、

しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、

軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、

辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、

砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、

生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。

その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、

輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、

(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、

沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

 

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%AE%9F

 

 これは大田實(おおたみのる)という沖縄戦当時の沖縄に赴任していた日本の海軍中将が、1945年6月6日、まさに沖縄が陥落しようという時期に東京の海軍次官に対して打たれた電報です。

長い電文ですが、要点としては以下の2点ではないでしょうか。

 

沖縄県民の中にも自発的に、献身的に戦闘に貢献すべく『戦い抜いた』人々がいたということ。

② それに対する大田中将の「遺言」として、「沖縄県民に対する後世における特別のご高配をお願いする」ということ。

 

でしょうか。

 終始、眼前のありのままを海軍次官に伝えたこの電報は、まさに日本軍と県民とが一体となって死守しようとした沖縄戦と、

その様子を飾り気なく伝えた紛れもない証言であったと言えるのではないでしょうか。

 

以上、6月のネタをお話しし終わるまでにもう8月になってしまいました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

夏期講習、頑張ってます!

さて、夏期講習が始まって1週間が経ちました。

中3生は毎日、長時間、頑張ってくれています。

 

そんな中で・・・少し気になったこと・・・。

やはりというか、疑問詞を使った文が苦手な子が多いですね。

例えば、

 

I have five pens in my pocket.

 

という文、下線部をたずねる疑問文を作ってみましょうと言われた場合、できるでしょうか。

 

How manyを使うところまではできている子が多いです。

 

しかし!その後に、pensを抜かす! Iを youに変えていない! 

そして・・myをyourに変えてない!など・・どれか一つが抜けている子を見かけます!

 

ささっと解いて安心するのではなく、必ず、まだ何か忘れていないかをチェックしましょう!

 

How many ①pens ②do ③you④ have in⑤ your pocket ?

 

チェックすべきポイントは全部で5箇所です!

慣れるまではゆっくりで構いません。

間違えないようにしっかり解くように心がけましょう!

今日は何の日~6月23日~(3)

前回の続きです。

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沖縄戦

 沖縄戦に関しては、真偽不明のことがらも含めて様々な出来事があったとされています。

もちろんこれに関して検証するのも興味深い勉強になるのではないかとは思いますが、

今回は私自身の知識不足も含めて、これらを扱うのは避けておこうかと思います。

 

 その中でも、根本的に「沖縄戦ではなぜ民間人の犠牲が出てしまったのか。」という問題については、この問題自体もですが、

そもそもの問題として「戦争に、民間人が巻き込まれるのは問題ないのか。」という問題点も重要になってきます。

 

 「何言ってるの?戦争は民間人も巻き込まれるからやっちゃダメなんでしょ?」と思う人もいるかもしれませんが、

実は戦争に関しても明確にルールが決まっており、本来はそのルールに沿って戦闘行為を行う必要があるものです。

 

そのルールとは、難しい用語を使えば「戦時国際法」と言い、陸戦規定、海戦規定、空戦規定と様々あるのですが、

民間人の扱いに関しては主に陸戦規定、空戦規定の中で決められており、特に硫黄島の戦いや沖縄戦の段階ででも決まっていたルールとしては有名なものとして「ハーグ陸戦条約」というものがあります。

 

 それではこのハーグ陸戦条約では民間人の扱いはどうなっているか、少し見てみましょう。

 

  • 第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵義勇兵にも適用される。
    1. 部下の責任を負う指揮官が存在すること。
    2. 遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること。
    3. 公然と兵器を携帯していること。
    4. その動作において、戦争法規を遵守していること。
  • 第2条:未だ占領されていない地方の人民でありながら、敵の接近にあたり第1条に従って編成する暇なく、侵入軍隊に抗敵するため自ら兵器を操る者が公然と兵器を携帯し、かつ戦争の法規慣例を遵守する場合はこれを交戦者と認める。
  • 第3条:交戦当事者の兵力は、戦闘員及び非戦闘員をもってこれを編成することができ、敵に捕らえられた場合は二者ともに等しく俘虜の扱いを受ける権利を有する。
  • 第22条:交戦者は害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものではない。
  • 第23条:特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
    1. 毒、または毒を施した兵器の使用。
    2. 敵の国民、または軍に属する者を裏切って殺傷すること。
    3. 兵器を捨て、または自衛手段が尽きて降伏を乞う敵兵を殺傷すること。
    4. 助命しないことを宣言すること。
    5. 不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること。
    6. 軍使旗、国旗その他の軍用の標章、敵の制服またはジュネーヴ条約の特殊徽章を濫りに使用すること。
    7. 戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収。
    8. 相手当事国国民の権利及び訴権の消滅、停止または裁判上不受理を宣言すること。

交戦者はまた相手当事国の国民を強制して本国に対する作戦行動に加わらせることができない。戦争開始前その役務に服していた場合といえどもまた同じ。

  • 第24条:奇計、敵情報、地形探査に必要な手段の行使は適法。
  • 第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
  • 第26条:攻撃軍隊の指揮官は、強襲の場合を除いて、砲撃を始めるに先立ちその旨官憲に通告するため、施せるだけの一切の手段を尽くさなければならないものとする。 

 

いろいろと引用しましたが、要は「沖縄戦の民間人殺傷は戦時国際法違反である可能性が高い。」ということです。

そして本来ですと、戦時国際法に違反した者は、戦争犯罪を犯した者としてそれぞれの国における軍法会議や相手国による軍事裁判において処罰されることとなります。

もちろんこのハーグ陸戦条約そのものに関しても様々な異論があることは確かです。

例えば民間人と言えども、交戦者が民間人に扮して(偽装して)いる場合等は、その疑いのある者に対して攻撃を加える必要性は出てくるでしょう。

 

また、第二次世界大戦に関してはそもそもこのハーグ陸戦条約の適用は無いという主張もあります。

根本的には、沖縄戦の中においてや、あるいは東京大空襲、広島・長崎への原爆投下に関しても戦争犯罪であり、処罰されるべき対象であるとの主張もあります。

 

 このように、攻撃を加える側としても民間人は戦闘に巻き込まないようにする必要があるという法律があるということです。

したがって、戦争とは本来は戦闘員のみによって行われるべきで、民間人は巻き込まれるべきではないということも言えます。

(もっとも、まさにこの第二次世界大戦、太平洋戦争を契機に総力戦という考え方、

あるいは核兵器の開発というようにこの前提はほぼ崩れることとなったという点が、問題を複雑にしていると言えます。)

 

 こうした規定に基づいて、硫黄島の戦いでは現地の民間人がしっかりと避難を済ませたあとに戦闘が始まったという点では

日本軍、アメリカ軍ともにフェアな戦いであったということが言えるでしょう。

 

しかしながら、沖縄戦においてはこの民間人の避難が上手く行かなかったという点が「悲劇の沖縄戦」を生んだ大きな理由の1つであったと言えます。

それでは「なぜ、沖縄戦では民間人の避難が上手く行かなかったのか。」という点においては、様々な理由が考えられますが、

その1つとしては「アメリカ軍の上陸、侵攻が日本軍の予想進路に反して行われた。」という点でしょうか。

 

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沖縄市役所『沖縄戦の実相』https://www.city.okinawa.okinawa.jp/heiwanohi/2524/2526より引用)

 

 日本軍は当初、「アメリカ軍は沖縄本島の一番南の海岸から上陸してくる。」との目論見のもと、

沖縄南部の民間人を中心に北上させるかたちで避難をすすめていました。

 

しかし、実際にアメリカ軍が上陸したのは沖縄本島の中部付近、今で言う読谷村のあたりの海岸からでした。

これにより、南部から北に向かって避難をすすめていた民間人は完全に行く手を阻まれたかたちとなり、

戦闘に巻き込まれることとなったという経緯があります。

 

もちろんこれ以外にも様々な要因により、民間人が悲惨な戦闘に巻き込まれたという歴史的事実はありますが、

これについては中学生、高校生の方も比較的、よくご存知でいらっしゃるようですので敢えてここで言及することは避けておきます。

今日は何の日~6月23日~(2)

 前回の続きです。

 

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硫黄島の戦い

 硫黄島といえば、最近では2006年にクリント・イーストウッド監督によって『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』という映画が作られ、

日本が誇るハリウッド俳優である渡辺謙さんが日本軍の最高司令官であった栗林忠道大将を演じられたのが記憶に新しいですね。

また、写真としてはこの写真の方が有名でしょうか。

 

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https://www.sankei.com/photo/images/news/160826/sty1608260001-p1.jpg

 

硫黄島の南にある摺鉢山(すりばちやま)という山のてっぺんに、アメリカ軍の兵士が自国の国旗(星条旗)を掲げる場面をおさめた写真です。

これはすなわち、日本軍がアメリカ軍に負け、硫黄島の陥落が決定した瞬間であったと言えます。

 

 ちなみに、イーストウッド監督の映画の邦題は『硫黄島からの手紙(いおうじまからのてがみ)』ですが、

地名としては「いおうとう」が正しく、歴史的事象としても硫黄島の戦いについては「いおうとうのたたかい」と読むのが正しいです。

 

 もちろんこの硫黄島(いおうとう)は東京都小笠原諸島の島を指す地名ですが、硫黄島(いおうじま)という島も、

鹿児島県大隅諸島の島として存在しますので「いおうじま」と読んでしまうと鹿児島県の島を指すことになってしまいます。

地名は津々浦々、判読が難しいものもたくさんありますが、正しい読み方を覚えておきたいところですね。

 

 硫黄島の戦いは、1945年2月19日に始まり、同年3月26日に終結した戦いです。

沖縄戦が1945年3月26日から始まり、6月23日に終結したことを踏まえると、沖縄戦よりも前に行われた地上戦であったことがお分かりいただけるでしょう。

硫黄島の戦いと沖縄戦に関して、地上戦であるということはどちらの戦闘においても共通することではあるのですが、

大きな違いとしては「民間人が巻き込まれたかどうか。」という点です。

 

 硫黄島には1940年代当時は約1000人の住民が生活していたと言われています。

もちろん沖縄戦の舞台となった沖縄本島とは人口規模は全く異なりますが、

硫黄島の戦いに先駆けて、この島民の方たちは皆、他の地域に避難しており、

従ってこの硫黄島の戦いでは地元島民の犠牲者が出なかったという点が沖縄戦との違いであると言えます。

 

 その他、なぜアメリカが真っ先に硫黄島を狙ったのか、あるいはどうして日本は硫黄島を死守しようとしたのか。

これらについては今回、詳しくは触れませんが少なくとも硫黄島は日米両軍にとって重要な島であったということが言えます。

 

 最終的には写真にもあるように硫黄島は陥落、日本軍は玉砕し、アメリカ軍の手に渡ることとなりました。

アメリカ軍は、当初この硫黄島は5日間で攻め落とせると考えてこの戦いに突入しました。

すなわち、5日間で日本軍を殲滅(せんめつ)できると考えていたわけです。

 

 しかし実際にはこの硫黄島の戦いは36日間にも及びました。

実はこの「陥落まで何日かかったか」という点はまさに硫黄島の戦いの最大のポイントであったと言えます。

これ以上は興味がある方はぜひ調べてみて下さい、先生に聞いて頂ければお話します。

 

次回に続きます。

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