プログレス個別教室

兵庫県の明石市、西宮市を中心に4教室を展開する個別指導塾プログレスのブログです。

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今日は何の日~6月23日~(4)

前回の続きです。

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 また、沖縄戦に関してよく言われるのが、「沖縄は本土の捨て石にされた。」という表現ですが、

これに関しても諸説あると申し上げておきましょう。

その上で皆さんがご判断頂いて「やはり沖縄は捨て石になったのだ!」や、

「沖縄は捨て石ではなかった。」等お考えになるのであればそれもそれで一つの考えであると思います。

 

 「沖縄は捨て石にされた。」というお話は皆さんも耳にするかと思いますが、

逆に、「沖縄が捨て石ではなかった。」と考えさせられる史実についてもいくつか触れておきましょう。

 

1:戦艦大和の沖縄出撃

 かの有名な戦艦大和ですね、宇宙戦艦ではないですよ(笑)。

第二次大戦、太平洋戦争においても大和は日本海軍の主力兵器でした。

残念ながら太平洋戦争末期となると、戦艦そのものがやや時代遅れの兵器となってしまっていたということも言えますがそれはまた別のお話です。

 

 いずれにせよ、この戦艦大和日本海最後の切り札であったと言えるわけです。

要はこれは逆説的な主張として、「もし日本軍が沖縄を捨て石と考えていたならばわざわざ戦艦大和を沖縄に出撃させたりしないよね。」というお話です。

すなわち、日本海軍は沖縄を本当に死守するために、戦艦大和を出撃させたということが言えるでしょう。

 

 しかしながらこの戦艦大和の出撃に関しては、いわゆる「海上特攻」がその任務であったと言われています。

これについて、実際には戦艦大和は沖縄に向かう途中、アメリカ軍の偵察機に見つかり、

鹿児島県沖の東シナ海上においてアメリカ軍の攻撃を受け、沖縄に辿り着くことなく沈没することとなりました。

沖縄に到達することなく志半ばで沈むこととなった戦艦大和ですが、この大和をして沖縄に向かい、

沖縄防衛に就かせようとした事実こそが、「沖縄は決して捨て石でなかった。」根拠となり得るのではないかと思います。

 

2:『沖縄県民斯ク戦ヘリ』

発 沖縄根拠地隊司令

海軍次官

 

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ

県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付

本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ

残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ

僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ

□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ

挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ

毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ

敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ

輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ

(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ

遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 

※文中の□部分は判読不明

 

 皆さんはこの文章をご存知でしょうか。

特に最後の2行、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世、特別のご高配を賜らんことを。)の部分が有名ですね。

一応現代語訳についても掲載しておきます。

 

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、

県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。

県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、

現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、

県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。

それにも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。

残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、

しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、

軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、

辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、

砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、

生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。

その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、

輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、

(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、

沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

 

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%AE%9F

 

 これは大田實(おおたみのる)という沖縄戦当時の沖縄に赴任していた日本の海軍中将が、1945年6月6日、まさに沖縄が陥落しようという時期に東京の海軍次官に対して打たれた電報です。

長い電文ですが、要点としては以下の2点ではないでしょうか。

 

沖縄県民の中にも自発的に、献身的に戦闘に貢献すべく『戦い抜いた』人々がいたということ。

② それに対する大田中将の「遺言」として、「沖縄県民に対する後世における特別のご高配をお願いする」ということ。

 

でしょうか。

 終始、眼前のありのままを海軍次官に伝えたこの電報は、まさに日本軍と県民とが一体となって死守しようとした沖縄戦と、

その様子を飾り気なく伝えた紛れもない証言であったと言えるのではないでしょうか。

 

以上、6月のネタをお話しし終わるまでにもう8月になってしまいました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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